反対派はしきりに家族の崩壊を懸念し、警笛を鳴らします。そう力説する人ほど、もし自分の家庭で夫婦別姓にしたら確実に家庭崩壊が起きると確信があるのでしょう。しかし、自分にあてはまることが誰にもあてはまるとは限りません。
家族の結束はそれぞれの家族の事情により、質も強弱も多様に変化します。家庭内に複数の苗字がある二世帯や三世帯家族、また子連れ再婚同士の家庭でも、仲睦まじいこともあればそうでないこともあるでしょう。また苗字が1つであるのにも関わらず、残念ながら険悪な家庭もあるでしょうし、一体感のある家庭もあるでしょう。
夫婦や親子が持つ苗字の同一性で家庭の安定や崩壊を論じようとすること自体、無理があります。この命題で熱く議論しても水掛け論に終わるので、不毛です。
民法が「夫婦の氏は同一」と定めることがどれだけ夫婦の結束強化に寄与しているでしょうか。残念ながら精神面では力及ばないこともあります。しかし法律とは社会運営のためにあるのですから、精神的な結束を考えるのは的外れです。むしろ、社会的な結束を考えるべきでしょう。
社会的な結束とは、婚姻届を出して法的な夫婦になること、そこで発生する法的な効力です。社会生活においては、扶養や住居選定の場面等で法的な続柄が影響を及ぼします。夫婦になる意思があっても、法律がその実現を制限していることが問題です。より弱い社会的な結束で耐えしのぐ夫婦や家庭を増やすことになります。
それはつまり事実婚夫婦の増加です。最近では夫婦別姓が法制化しないことで、事実婚を選択する夫婦が増加しています。周囲の対応により事実婚での利便性は高まりつつありますが、事実婚では法律婚に比べて社会的な結束がより弱く、不安定な身分です。
事実婚は当事者の意思で実践しているといっても、制度の非寛容性が家庭の形成を妨げていることになります。夫婦別姓の法制化を阻止することは、何人かの夫婦の家庭の形成を阻止していることになるのです。
夫婦別姓が実現することで家庭の一体感を危惧する人がいるいっぽう、法制化されないことで社会的な家庭の結束を強めることができない人がいることも無視できません。
現在法制化を検討している夫婦別姓とは、強制ではありません。「選択的」または「例外的」と名称についているとおり、必要がある夫婦のみ別姓を選択できる制度です。
もし夫婦別姓を選ぶことにより、家庭崩壊の危機が予期されるのであれば、選択しない方が賢明でしょう。将来を完全に予期するのは不可能ですが、制度はできるだけ当事者の意思を尊重できるような柔軟性をもつことが大事です。なぜなら、非寛容的で現実に適さない制度は運用に支障を与えるからです。制度が十分に役割を果たせなくなります。
夫婦別姓の法制化が実現しないことにより、弊害も起きています。不安定な立場でストレスを抱えるカップルもいます。こうした無用のストレスで精神衛生や日常生活に悪影響を及ぼすことすらあるのです。
夫婦や家庭はその構成員が築くものです。お互いへの信頼が結束を強めたり、共同生活の積み重ねにより一体感を深めたりするのではないでしょうか。それぞれの家庭に必要なことはそれぞれの家庭が判断することで、他人からはわからないこともあります。第三者がよその家族のありかたについて口出しするのは時に無神経となります。成熟した大人同士なら、もっと互いの意向を尊重してもいいのではないでしょうか。
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