2色のガーベラ 夫婦別姓資料館

 夫婦別姓を唱えるだけで、その人間を「わがままだ」と断定する人もいます。それが女性ならなお「生意気だ」とか「慎ましくない」とか、嫌悪されがちです。

 そもそも個人主義とはどう定義されるのでしょうか。個人のための行動はどこからが個人主義とされるのでしょうか。もし、なんでも個人でやる主義なら、結婚など不要なはずです。夫婦であることを望んでいるということは、必ず配偶者の存在があるはずなのに、なぜ個人主義と分類されるのか理解に苦しみます。妻が夫に全てを捧げなければ「個人主義」なのでしょうか。逆に妻が夫と同じ名前にすれば、個人主義ではなくなるのでしょうか(主人主義?)。

 特定の人物が自己の利益のために他人に迷惑を与えたという具体的な事例があるならまだしも、夫婦別姓を望むというだけで個人主義だと非難するのは根拠に欠ける中傷です。もともと○○主義という表現は一種の権威付けみたいなもので、議論で主導権を握りたがる人が好んで使います。乱用する人との議論はうまく避けたほうが無難かもしれません。

 個人主義という表現を使わないまでもこういう非難をする人は、おそらく漠然と社会における不協和音や協調性の無さを心配しているだけである場合もあります。自分の都合に家族を振り回すような人間はよくないと懸念しているようです。むしろ逆に、そういう根拠無い主観で不特定多数を傷つけるほうが、よほど社会の協調性に悪影響を及ぼすのではと私は懸念したくなりますが。

 夫婦別姓を実践することで、家族や他人に迷惑がかかるかどうか、一概には言えません。もともと集団に依存する考えを持つ人からすれば、自律ある夫婦像が相対的に「行き過ぎた(=許容範囲を超えた)個人主義(⇔集団依存主義)」に見えるということなのかもしれません。

「行き過ぎた」というなら、何か一線を越えた先で具体的にどのような弊害が生じているのかを明確にするべきです。

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