2色のガーベラ 夫婦別姓資料館

 夫婦同姓は日本の伝統ではありません。もしそう思うなら、日本の歴史は明治から始まったことになってしまいます。

 明治より前に日本で苗字を持つのは希な階級の人間のみで、農民は氏を持ちませんでした。一般市民が氏を持つようになったのは、明治初期の民法からです。それまでは民法も刑法もなかったため、諸外国の法律などを参考に編纂したようです(だから法に対する意識が希薄なのでしょうか)。民法は当時の国内の民事的な慣習も反映するようにしたそうです。その後、明治中頃から夫婦同姓しか選べないよう変更されるなど、紆余曲折を経ています。

 繰り返しますが、夫婦が氏を同じくすることは日本の伝統ではありません。明治の民法でそう定めただけです。本来の伝統とは、家族を大切にしたり、年上を敬ったりするような習慣やその中に込められた思想的指向をいうのではないでしょうか。公的書類のルールを伝統とみなすのは不適切です。

 なかには妻が夫の家に嫁ぐことを伝統と考える人もいるようです。夫婦や周囲全員がそう望むならかまいませんが、それで不都合があるなら、伝統と美化するのは不適切です。悪影響があるなら伝統ではなく因習というべきでしょう。さらには家族を大切にすることを指して伝統という人もいます。それは伝統に相応しい美徳ですが、夫婦別姓なら家族を大切にすることに反すると断定するのは無理があります。

 ある伝統舞踊の先生が「伝統というのは、衣装や行為によって見えるような表面的なものではありません。着物にしても、作法にしても、時代背景や周囲の影響によって様々に変化します。変化は伝統の喪失ではありません。伝統というのは、もっと深いところにあり、それを伝承するはずです。表面的なものばかり追う伝統なら、いつか廃れてしまいます」と仰って感銘した覚えがあります。その時代の人間に愛されないと、伝統は衰退するでしょう。

 民法はその時代の慣習に適応させるべきです。そうでないとその民法は適切に運用されなくなります。そうなると、民法は民事の交通整理ができなくなり、その時代の社会や秩序を不安定にさせることになります。

 政治の場で「伝統」を根拠にされる場合は、その伝統が具体的に何を示すのか、法律に定めるほどの必要性があるのかをよく確認するべきだと思います。おおよその場合、政治の場に持ち出される伝統とは、天皇制であるとか村社会的な集団主義のようなものを伝統とされるようです。しかしそれらは本当に伝統と呼べる精神的・文化的遺産や慣習なのか、伝統の衣を被った支配体制なのか、よく見極める必要があります。

推薦書籍

「<伝統>とは何か」(大塚英志著、ちくま新書):時代や社会が「伝統」という権威を必要とし、作りあげられる「伝統」もあるようです。夫婦別姓の反対理由で引き合いにだされる「伝統」についてよい考察になります。

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