2色のガーベラ 夫婦別姓資料館

「個人主義」との批判に似ていますが、夫婦別姓を求めることを道徳に反すると感じる人もいるようです。夫婦別姓に関する偏見や妄想がいろいろと交錯し、いろんな表現「夫を敬わない」「既婚であることを隠したいからだ」等々が生まれます。結局は妻として慎み深さが欠けているとか不道徳であるとか漠然と感じて批判したいようです。

 道徳と絡めて批判したい人というのは、法律と道徳を混同視している傾向にあります。確かに、法律は道徳と無縁ではありません。しかし、法律は道徳規範集ではありません。法律に道徳的な観念は盛り込まれていても、法律が定めること全てが道徳ではないのです。例えば相続を遺言で血縁者以外にも分け与えたら道徳に反するでしょうか。

 また多くが学校や社会で「規則に従うように」と昔から教わってきたせいか、規則に従わないことはすなわち公序良俗に反する「不良」のように見えるのかもしれません。特に戦時中はそれが顕著で法律に従わなければ非国民とレッテルを貼られていたそうです。こうした傾向は近代天皇制で見られた教育勅語の影響を強く受けています。教育勅語は現人神であり絶対的な権威にある天皇から命令された道徳規範であり、同時に法規範でした。

 だからいまでも例えば赤信号なのに渡るとか、他人の所有物を盗むとか、法律に反することをすれば、即公序良俗に反すると考えがちなのでしょう。そういう傾向からすると、現行法や慣習で「結婚したら名前を変える」のだから、それに従わないのは反社会的だと思いがちなのかもしれません。もちろん秩序や治安のために守るべき法律はあります。しかしすべてがそうだとは限りません。

 そもそも罪を規定する刑法と、社会における私権を規定する民法とを同列に比較したり、混同して例を持ち出すのは適切ではありません。夫婦別姓の議論を見ると、民法の議論をしているのに、刑法にあたる罪をたとえに出されることもしばしば見受けられます。法律婚、つまり国が認める夫婦を、現在民法で定められている「同姓のみ」から「別姓も可」とするかどうかが夫婦別姓法制化の議論なのです。夫婦が同じ苗字を持つかどうかで不道徳かどうか単純に決めつけられる話ではありません。

 婚姻後に片方の氏が変わることは婚姻したことで得られる効果であり、本来は婚姻の成立条件として定めたものではないはずです。なぜなら婚姻は両性の合意によってのみ成立すると憲法に定められているからです。「ただし両性の氏を統一できなければ婚姻は許可しない」とはなく、民法750条が認可される婚姻の条件を定めていることになっています。ただ当時からすれば、夫の氏でも妻の氏でも選べるようになったのはまだ進歩だったようですが。

 戦後の民法改正からもう半世紀以上が経ちました。現状の実在する事情や不利益は考慮されるべきではないでしょうか。社会への抵抗を目的とするならば、婚姻届を出す必要もないはずです。夫婦別姓の法制化を求める人は、法律に則って婚姻届を出して法律婚にしたいと願うわけですから、そういう人間に対して不道徳だというレッテルは不適切です。

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